スタッフ紹介
当院のスタッフをご紹介します
名前 | 後藤 輝 |
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出身地 | 登米市 |
血液型 | A型 |
趣味 | ネットサーフィン、読書 |
資格 | 柔道整復師 |
施術家になった理由
初めまして。
甘いものとお酒が大好きな後藤輝といいます。
私は宮城県の登米市というお米が美味しくてのんびりと過ごすのに最適な田舎町で生まれました。
昔から運動が好きで兄の影響でサッカー三昧の日々を過ごす運動小僧でした。
運動をしていたころはケガも多く、接骨院にお世話になっていました。
通ううちに自分もケガで悩んでいる人を助けたいと思うようになり、柔道整復師の免許をとりました。
その後、接骨院や整形外科で経験を積み、現在バランス整骨院グループで毎日沢山の方のお体を診させて頂いています。
卒業されていく方の「ここに来て良かった!」と笑顔で帰られる後ろ姿を見ると、この仕事を選んで良かったなと思うと同時にもっと頑張ろうという気持ちになります。
これを読んでいる皆さんはお体に不調があり、悩んでいる最中だと思います。不安も沢山あると思いますが、私が全力でサポートさせて頂きます!一緒に乗り越えて、元気でやりたいことが出来る体を作っていきましょう!
名前 | 佐藤 大輔 |
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出身地 | 山形県鶴岡市 |
血液型 | O型 |
趣味 | 映画鑑賞、スノーボード |
資格 | 柔道整復師 |
施術家になった理由
施術家になった理由: はじめまして!甘い物が大好きで帰りのコンビニでついつい買ってしまう佐藤大輔と申します!私は父の影響で小学生の時から野球をはじめ中学高校と約10年間野球しておりました。
体力もあまりなかったせいかもしれませんが、私はケガが多く、何よりケガのタイミングが悪かったです。
メンバーを決める大事な試合や、調子がどんどんあがってきてるタイミングでのケガが本当に多かったです。
特に僕がやっていたキャッチャーというポジションをやっていました。そんな下半身が重要なポジションをやっていながら、メンバー決める大事な時期に足を怪我してしまいました。
このままいけば、小さい時からの夢である「甲子園」も実現するかもしれない!
そんな想いで一生懸命練習に励んでいたある日、無情にも僕の足は壊れてしまいました。
立ち上がるのもままならず、当然キャッチャーに求められるスクワットの動作なんか痛くて全くできません。
診断結果は「肉ばなれ」でした。
肉離れは重症度によっていくつかの種類に分類されるのですが、僕がその時になってしまったのは、中で筋肉が切れてしまっているタイプのかなり重症な肉離れでした。切れた筋肉が修復するのにはかなり長い時間が必要です。当然メンバーを決める大事な試合に自分は出ることはできません。
怪我がなければ自分がでている試合。その試合の手伝いをしてる自分の姿にものすごく腹がたちました。そして何より悔しかったです。
「みんなは当たり前のようにできてるのに、なんで自分はできないんだ」
いっそ諦めて、野球部自体を辞めてしまおうかとさえ思っていました。
そんな時、僕の体を施術してくださったのが、私が目指すきっかけにもなった柔道整復師の方でした。その方はいつも悩みを聞いてくれて、今後試合にでれるか不安なときも「お前なら大丈夫だ、やれるよ!」と元気づけてくれました。
そして助けてくれた柔道整復師という仕事に憧れ、自分もこの仕事をしたいと思い資格をとりました。
そして、このバランス整骨院グループの理念である「人としてあなたにできることを追求する」という言葉と過去の経験が強く重なり、今ここで働いています。
自分も大きな怪我をしたからこそわかる思い、体だけじゃない心の痛みや悩みを大切に深く関わり、「この整骨院に来てよかった」と思っていただけるよう全力であなたのサポートをさせていただければと思います。
笑顔の輪を一緒に広げていきましょう!
名前 | 賀澤 世慈 |
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出身地 | 仙台市青葉区 |
血液型 | A型 |
趣味 | 野球観戦、エヴァを見る |
資格 | 柔道整復師 |
施術家になった理由
はじめまして!野球とスラムダンクが大好きな賀沢世慈と申します。スラムダンクが大好きという方私と語り合いましょう。
私は仙台市青葉区で育ちました。真面目で優しい母と、いつもユーモア溢れる父の元に2人姉弟の長男として生まれました。幼少の頃から人を笑わせる事が大好きだった私は小ボケばかり言うお調子物でした。
そんな私ですが小学2年生の時に友達の兄から誘われた野球にハマり、そこから高校まで野球をしていました。ポジションはキャッチャーでした。そんな私に転機が訪れます。中学3年生の時生まれて初めてピッチャーを試合でしました。人生初マウンド、ワクワクが止まりませんでした。しかしその登板で全治3週間の怪我をしてしまいました。肉離れでした。しかもそれは中総体2週間前のことです。このままでは中学最後の大会に間に合わない。絶望しました。
そんな時に整骨院に出会いました。一生懸命施術してくれた先生のおかげで本来のポジションではないが試合に出ることができました。試合に出られた喜びを噛み締めました。ただ本来のポジションで出られないもどかしさと負けた時に「俺がキャッチャーなら」という後悔も同時にこみ上げてきました。
「そんな人を一人でも少なくしたい。」「セルフケアできる怪我で悔しい思いをして欲しくない。」
そういう思いで私はこの職業を選びました。
実際に就職活動をして行く中で、他の整骨院は是非君が欲しいと言って下さるなか、佐藤社長は「来たかったら来れば」というスタンスに興味をそそられ、根本施術と言う施術方針にとどめを刺されハーツブリッジに入社しました。
仕事をして行く中で4人の同期がいました。
「自分はどれくらい成長しているのか?」「どこを目指して進めばいいのか?」
そんな悩みに葛藤しもがいていました。しかも他の同期と久しぶりに会うとその逞しさや眩しさに悔しさとちょっとした羨ましさがこみ上げてきたのと、自分はこのままじゃダメだとずっと考える日々でした。
そんな中患者様に、「先生に見てもらって良くなったよ、できなかった事が出来たよ」という言葉に救われ今でもここにいられます。
「今出来ない事があって悔しい人」 「出来ずに後悔しそうな事がある人」私にお任せ下さい。
今までできなかった事が、諦めていた事が出来た。そんな喜びを隣で噛み締められたら幸いです。
「可能性はインフィニティ」私の人生のモットーです。たあなたの無限の可能性がある人生に少しでもお役に立てたらと思います。